お話を聞くと、浦さんは当時このご家庭を取り仕切っていたお母様に
「お仕事、出来る?」という、かくもあっさりとした端的なご依頼のお言葉をかけられたんだそう。
初めてのプレッシャーに、一瞬だけたじろぐも「是非やらせてください!」と一つ返事で承諾されたという浦さん。
「これも一つのチャレンジ!試練!でも、もし取り返しのつかない失敗したら?でも、今までの修行の成果を披露してみたい!」
……若き浦さんの脳内に、たくさんの言葉が駆け巡ったことでしょう。当時のお話を聞くだけの私にも、これは想像に難くありません。
「ベテランの大工さんがひしめき、工務店数も多い堺市で、当時の私みたいな駆け出しの大工に任せてくれたお母さんこそが、チャレンジャーだったのかもですが…」
と苦笑し謙遜されますが、そこは今やええ職人ドットコムに広告を出してらっしゃる大工さんの中でも、有数の腕前を持つ浦さん。
その女性はまさに『見抜いていた』のではないでしょうか。